2017年05月27日

眠れない夜/ムタ

こんばんは、ムタです。

うーん、眠い。このところ、いやムタは万年睡眠不足。
我が家ではあの可愛い猫サマが午前3時以降数回にわたり朝ご飯の催促しに起こすので、毎日眠いったらない。
春眠暁ヲ覚エズ、昔の人は言いました。春は眠るに易く起きるに難し。寝られるならばいいのです。困るのは寝られない方。皆さんはどうですか?睡眠はきちんと取れていますか?

ムタは残念なことに、とにかく寝付きが悪い。床につき、電気も消して暗い中、なにするわけでもなく寝に入る。蛍光灯を消した後のぼんやり浮かび上がる残光を見つめながら、向かいの家のご主人が遅くに帰ってきて車のドアを閉める音を聞きながら、目はまどろみ体はもはや眠るばかりなのですが、頭の方はむしろ冴え冴えとして昼間には使わなかった回路が我が物顔で動き出し、目を閉じてなんとか眠りにつこうというムタのまぶたに様々な映像が映し出されます。
前職の仕事で悔しかったあのこと、残念だったあのこと。それらが積もり積もって退職することになってしまった今。
この先はどうだというのだ。もう5月、もう直前期。「もう○○」なんて考えないぞって誓ったのも束の間、そうは言ってもやっぱりもう5月なんだ、「あと」3カ月「しか」ないんだ。
今年受からなかったらどうするんだ。来年も受験するのか。じゃあ来年も受からなかったら。その時ぼくは何歳になっていて、なにをどうするというのだ。
気がつくと0時何分というところ。今日もまた眠れずに日をまたいでしまった。
眠らなくてはならない。眠らなくては。明日も仕事だ。明日も勉強なんだ……。

こういうまんじりともできない幾夜を過ごしてしまったことはありませんか。
ない人はいないと思うんだけどね。
よく言いますが、お日様が沈んだ後にこういう人生を振り返ったり人生の先のことを考えるのは厳禁。翌朝になれば深夜にクヨクヨしていた自分が腹立たしい。
でもまた今夜、不幸にも寝付きの悪いその時にそんな考えにとらわれてしまったらどうしよう。

その時は、むしろ考える事をやめないようにするんです。
でも考える内容を変える。
人間なんてどうぜ3つも4つも同時に物事を考えられるものではないので、ある一つの考えに自分を支配させるのです。
例えるならば、豆を保存しておくために、つまり豆に様々な菌がついて腐っちゃわないようにするために敢えて納豆菌を繁殖させ、他の菌が育たないようにするというもの。ムタの例えは、いつも判りにくいというか遠回りだなぁ。
さて、マイナス思考にとりつかれる前に別の思考で頭を満たそうというわけですが、
なにを考えるかは人それぞれ。というよりこれも日々の訓練なので、なにを考えたら意味のないマイナス思考がムクムク芽を出さないでいられるか、をそれぞれで追求します。
ムタの場合はね、言っちゃいますが、川柳・俳句を作っていました。言ってしまった、わぁ恥ずかしい。
なんだそれ?と思うかもしれませんが、そのくらい突飛なことをした方がいいかもしれない。俳句作るったって、ハイできましたお休みーというわけにはいかない。
情景を頭に描いたり、それを17音に収めてみたり、いやいやこれではイカンと推敲してみたり、できた!と思ったらスマフォのテキストエディタに入力してみたり。
頭が冴えちゃうんじゃないの思われるかもしれませんが、マイナス思考に浸っちゃうよりは脳が健康的。健康的ならいずれ眠りに落ちられます。
ムタの文章を読んでくださる方はわかると思うのでうが、ムタはモノゴトに対しうまいこと言いたがるクセが強くあり、また10年くらい前、とある川柳の公募で賞金をゲットしたという腕に多少の覚えもあり、そういう自分のクセを上手に利用して、闇の中でぶつぶつと五七五を唱えておりました。
その甲斐あって最近になって、とある俳句で選考に残ったり、またとあるエッセイを書いて小さな賞をいただいたりするなど、
得るものはあるものです。

映画『紅の豚』でもポルコが言ってました。「睡眠不足はよい仕事の敵だ。美容にもよくねぇ。」
皆さんはよく寝てよく勉強して、キレッキレの脳みそとツヤッツヤの肌で試験に臨んでください。

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2017年05月10日

敵は自分/ムタ

こんばんは、ムタです。

5月。受講の早い方では講義編が終わる頃でしょうか。
ムタが受験生の時は4月で一旦講義が終わる日程だったので、GWはオプション講座でみっちみちのスケジュールでした。
それまでの講義を受けている間というものは、毎月増えていくテキストにウンザリ、テキストの内容だけではまだ足らず、講義で先生がおっしゃることをゴリゴリ書き込んで、覚えることが倍三倍となることにボーゼン。
それでも毎日のように新しいお話が聞ける、あの知識欲を満たしてくれる講義をムタは心から楽しんでおりました。
講義を受けた後のとてつもなく頭が良くなったように思えるあの熱い心は、ジャッキー・チェンの映画を見た後になんだかものすごく強くなったような気がした幼な心の興奮と同じなのかもしれません。

当時、過去問セミナーから始まったオプション講座は、最初の40分ほどで約15問の択一問題を解きその後解説を聞くというものなのですが、この15問がまぁとにかく答えられない。
それまで解いてきたトレーニングよりも1問あたりのボリュームが大きく、基準法なんか半年以上前の講義だからタイムラグも苦しい。それなりに理解したはずの各法が実はまったくわかっていなかったことをこの5月になって初めて知るのです。
あぁ講義を受けいてたあの時が懐かしい。わずか数ヶ月前のことだというのに、あの講義後の熱い心も遠い記憶。覚えたはずの単語たちもどこかに行ってしまった。
ユーミンのように、あの日に帰りたいと思ったものですよ。
もう一度勉強のやり直しか…。
5月になってやり直し。講義編が終わったら直前期と呼ばれるこの大事な5月にやり直し。5月になって。
気が重い。やってられん。ここまで頑張ったのはなんだったのか。
しかしムタは考えます。普段アサハカで物事に分別のないムタは、この時ばかりは考えました。
変えられないのはなんだ。5月。直前期。時間はコントロールできんわな。
あとムタのアタマの出来。出来の悪さは変えなきゃならんが今すぐは無理。それはわかっている。
変えられるのは、そうか、5月という時期の印象だ。
5月だからやり直すのだ。直前期だからやり直すのだ。うん、これなら当たり前に聞こえる。そうだそうだ、いまはやり直しをやる時だ。
ムタが、5月というのはそういう時なのだと思えるようになったのは、過去問セミナーも後半になってからだったでしょうか。

イチロー選手や浅田真央選手が、「敵は自分」といってメンタル強く戦っておられますがこの言葉、ムタは社会保険労務士試験を受けるまでは、どうも心に入って来なかったものです。
5月は誰にもやってきて、直前期も然り。だから時期は敵じゃない。
敵になるのは、5月に「もう5月」とか「直前期なのに」という時期に対する自分の印象。
そしてその印象を自分に植え付けてくる自分が敵。
それでも耐えて頑張っていこうという自分に、モウ5月ジャナイカ遊ボウヨ、直前期ダヨ諦メヨウヨと、ささやいてくる自分。
あれはほんと、敵。
これらをどうにかしていくことが、これからの時期の課題になるかもしれませんね。

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2017年04月15日

障害者雇用/ムタ

こんばんは、ムタです。

前職では、3月は三六協定締結に奔走していましたが、4月は障害者雇用調整金納付金申請に大忙し。

・障害者雇用調整金は、常時雇用する労働者が100人を超え、雇用する障害者数が法定雇用障害者数(常時雇用する労働者の2.0%)、超えている事業主が対象となり、支給される調整金は、1人当たり月額27,000円。
・障害者雇用納付金は、常時雇用する労働者が100人を超え、雇用する障害者数が法定雇用障害者数を下回る事業主が対象となり、納める納付金は、1人当たり月額50,000円(ただし、常時雇用する労働者数が100人を超え200人以下の事業主については、平成27年4月1日から平成32年3月31日までは40,000円)。

という制度。社会保険労務士試験では労働一般の分野になりますね。

私の前職はビルメンテナンス業だったので、警備や清掃などを多く雇用していました。
前職がメーカーなど自社ビルや自社工場で雇用させる業種であれば、例えばスロープを設置したりすることも自分たちの都合で検討できますが、清掃員や警備員の就業場所は取引き先のビルが中心。 就業先になる取引き先のビルオーナーにバリアフリーを依頼するわけにもいかず、障害者雇用については非常に消極的。
またビルオーナーも、自身の顧客である入居者やテナント事業者の目を伺い、障害者の配置に首を縦に振ってくれません。
不思議なもので、むしろ入居者やテナント事業者のほうが障害を持つ方が掃除をしたり警備の任についていることに理解があることが多いもの。
結局はビルオーナーの杞憂に過ぎないのですが、障害者雇用はなかなか進まず、しかし進まなければ納付金を支払わなければならない。
どこでもそうですが事業主はこのテの出費を大いに嫌うもので、法定雇用率を守るギリギリの雇用者数でとどまるのみ。
残念ながら障害者雇用の本質は忘れられ、結局は調整金と納付金の、お金の出入りだけが取り沙汰されてしまっていました。

私が小学生1年生の時、お隣に住む一つ上の子が「あぁ」とか「うぅ」とかしか言えない子でした。
会話は成り立たないものの、レゴブロックやプラレールで遊んだり、一緒にご飯を食べたりと非常に親しくしていました。
一つ上とはいえ体躯のしっかりした大きな子で、背も高く手足も長くデカい。
雪合戦をしようものなら彼は手加減を知らないので、あの大きな手のひらで固く握られた雪玉がいくつも飛んできました。
当たるとそれは雪玉というより氷の塊。1年生の私はたまらずわんわん泣き、そのたびに彼は聞きとりにくい言葉で謝るのでした。
お隣の家はその子が生まれるまでは共働きで、夫婦で超有名最大手のコンピュータ会社にお勤めだったところ、彼が障害を持って生まれたことでお母さんは退職されたと聞いています。
彼のお母さんは幼な心にも知性を感じる人で、障害を持つ我が子と一緒に遊んでいる小学生の私に、大人に接するように言葉をかけたり感謝してくれたりしたものです。
一番印象に残っているのは、「私はこの子より一日あとに死ぬの。」と笑顔でいった言葉。
今となっては理解できる母としての覚悟。小学1年生の私はどこまでこの言葉を理解できたのやら。

その後父の転勤でその地を離れた私たちでしたが、いまでもお隣の子と一緒に遊んだ思い出は忘れ難いものです。

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2017年03月18日

三六協定/ムタ

こんばんは、ムタです。

3月も半ば。
前職に勤めていた頃のムタはこの時期、三六協定の締結と届出に奔走する毎日でした。
前職では、協定の締結相手は御用組合とは言え、それなりの場を設け押印も取り付けないといけないし、協定書の作成も手間のかかるもの。
細かい話は省くとして、前職は現場ごとに勤務時間が異なり、現場が100あれば100の勤務時間体系があるので、三六協定もボリュームが増すのです。

そんなこんなで思い入れのある三六協定。当時勉強していた頃の労働基準法のテキストにもより一層印象に残して覚えておこうとするムタ自身の独特な書き込みが多くあります。

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・時間外労働をさせる必要のある具体的自由(←こんなこと書いたっけ)
・業務の種類(←警備と管理人とか)
・労働者の数(←日に日に辞めて(少なくなって)いくわな)
・一日及び一日を超える一定の期間についての延長することのできる時間(←どーせ45hでOK)
・労働させることができる休日(←書いた覚えないし)
・労使協定の有効期間(←どーせ4/1に提出できない)

カッコ内の言葉が、ムタの書き込み。皆さんが社会保険労務士試験に合格し実務に就かれたアカツキには、ムタのこんな書き込みはケシカランと怒ってくださいね。

先日の残業規制の合意について、時の首相の示した上限は月100時間未満。
いわゆる特別条項に設けられる時間外勤務の上限で、労働基準法改正に盛り込むと動きのある内容です。
もちろん皆さんが受験する今年の社会保険労務士試験には影響のないものでありますが、こういう動きや考えがあることは、心に留め置かれるとよいのかもしれませんね。

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2017年02月10日

健康診断事始/ムタ

こんばんは、ムタです。

今日は歴史が好きなムタの趣味のお話。軽い読みものとしてナナメ読みしていただければ幸いです。

さて、ムタは近々健康診断を受けます。
ムタは自主的に受けに行く健康診断になりますが、皆さんの健康診断は、「事業主は、常時使用する労働者に対し1年以内ごとに1回、定期に医師による健康診断を行わなければ」ならず、実施しなかった事業主は50万円以下の罰金。
お酒が好きでよく飲むムタなので、健康診断は必須。でも面倒臭いな。誰が考えたのかな、健康診断。

「まつもとじゅん」と聞いて、あぁ嵐のかと思われた方、今日は「松本順」と書いてください。
お正月に大学駅伝で名を馳せた順天堂大学のモトのモト、千葉佐倉藩の蘭学塾「順天堂」の創始者佐藤泰然の子が、幕末に松本ナントカという医者の養子になり名乗ったのが、松本良順(りょうじゅん)。
明治期に入って松本順と名乗りを変えます。潤ではなく順。
彼は御典医という非常に位も能力も高い医者で、患者は主に徳川将軍。14代、15代将軍の匙も診たという人です。
幕府が瓦解に向かう中、幕府存続に医師という立場で立ち向かい将軍を支えるのですが、その縁で新撰組の局長近藤勇と知り合います。
新撰組はご存知の通り、京都における反幕府運動を取り締まる警察組織で、京都西本願寺をその屯所としていました。
松本良順に魅力を感じた近藤勇と、新撰組に傾倒した松本良順は、やがて意気投合し、近藤は医師としてではなく、同志として自分たちの屯所を良順に見せます。
新撰組の隊としての精神は、近藤や副長の土方歳三らの作る隊の厳しい規律で縛られていましたが、屯所での実際の生活は無頼漢の如き食事やザコ寝。
あたりが残飯の山で、それを視界の片隅に置きつつ良順は近藤や土方と時勢を論じつつ、医師としての着眼点も忘れません。
良順は、隊士たちのある面倒をみることを決めました。
面倒というのは、一日かけて隊士たちを診察し、病気や衛生面で処置が必要な者とそうでない者をわけ、治療が必要な者には別室を与えるよう指導するというのもの。
また、個人個人のカルテをとり記録を残すなどし、隊士約200人のうち70人がなにかしらの体調不良を訴えていることも書き残しています。
新撰組は近藤勇や芹沢鴨らの自発的に発足した集団ではあるものの、幕府の一定の指揮命令下にあり(正確には会津藩の指揮下ですが)、名目は幕府のために殺人を提供し禄という形で一定の報酬を得ます。
その労働集団に対し、診察と保健指導をしたのですから、これは健康診断と言っていいでしょう。
慶応元年、1865年、幕府崩壊の前年の初夏のことでした。
企業が労働者に対して行う,本当の意味での健康診断が行われるのがこれよりさらに50年もあとになるわけで、松本良順の新撰組に対する診察が、どれほど革新的だったかお分かりになると思います。
ちなみにこの健康診断で、副長沖田総司が結核の診断を受けています。

良順はこれより後も新撰組と行動を共にしますが、近藤は処刑され土方は函館まで落ち延び五稜郭で籠城。
土方もそこで命を落とします。
良順は明治政府に捕えられ一時は獄に繋がれますが罪を許され、松本順と名を改め初代陸軍軍医総監として活躍するに至ります。
……。

健康診断という、いかにも社会保険労務士試験に関わるのあるような言葉を引っ張ってくるも、あくまで自分の趣味について書き連ねただけという、読んだアナタにはまったくの時間のムダ。
お忙しいところスミマセンでした。

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